草月流いけばなの歴史と特徴
日本人の心は古くから花とともにあった
日本人の花をいけるという文化は仏教の伝来とともにあると言われています。亡くなった人を供養する際に仏前に花を供えたことが変化していき室町時代に華道に至ったのです。また、別の説では、日本人の古来の信仰がその背景としてあると言われています。日本人の独自の信仰として、自然物の中に神や精霊を見立て、それを祀ってきたというものです。
現在でも日本の各地で樹齢の非常に長い樹木を神木として祀っている場所も多くあります。
そうした日本人の信仰心がひとつの芸術と言う様式の中で形作られたのがいけばななのです。
明治時代に入り、いけばなの担い手は男性から女性に
現在のいけばなには300以上の流派があると言われています。その中の三大流派である「池坊」「草月流」「小原流」のひとつ「草月流」は20世紀に入ってから勅使河原蒼風によって作られた流派です。室町時代に成立した現在のいけばなのもとは、文明開化の明治時代には時代にそぐわないものとして衰退しかけていました。しかし、政府が女性教育の一環として教育科目としていけばなを採用したことから、担い手をそれまでの男性から女性と変えて普及していきました。
草月流のいけばなの創始者勅使河原蒼風
そうしたさなか、いけばなをより自由にと提唱したのが勅使河原蒼風です。既存の華道の世界では、型が重要とされそれを守ることが重要視されていました。しかし、そうした生け花に対してより自由な発想をと考え、従来の花の美しさをより幅広く広げようと考えたのです。その蒼風の斬新な手法は、海外で評価されそして日本でも評価されるようになりました。かれは海外のメディアに「花のピカソ」とも称されました。
自由に花を利用して空間を作り出す
草月流のいけばなの特徴は、アシンメトリーである日本の芸術にベースを置きながらも必ずしも和風ではないことがあります。またベースである植物や花以外にも多くの材料を用いて空間をいけます。ときには紙や合成樹脂、金属などを取り混ぜて作品を作り上げることもあります。
西洋との彫塑作品との大きな違いは、作品の境界が作り上げた作品そのものの造形そのものなのか、それともその作品を含めた空間そのものなのかという違いです。周辺の空間も含めての作品作りは日本の芸術における特徴のひとつでもあります。
また、草月流の特有のものとして作品を作る過程も含めた作品、デモンストレーションやいけばなLIVEがあります。これは完成した作品を展示するだけでなく、その作品を製作する過程そのものも作品として見せるというものです。舞台正面から観客に鑑賞してもらった状態で、作品がゼロから完成まで作り上げていく状態を鑑賞するというものです。
いけばなLIVEの場合には、舞台芸術と同じように、照明や音響なども利用してひとつの作品を作り上げていく過程を鑑賞することができます。
草月流のいけばなは、伝統的な花あしらいの方法や花止めの方法を学びながらもより自由に空間を作り上げる芸術なのです。









